恋愛と結婚のあいだに揺れるテーマとして、いま日本でも「オープンマリッジ」が話題になっています。
肯定する人は「新しい愛のかたち」と持ち上げる一方、批判する人は「結局は不倫の言い訳だ」と切り捨てる。SNSをのぞけば、その温度差に驚く人も少なくないはずです。
この記事では「オープンマリッジ=都合のいい不倫なのか?」という世間の疑念を軸に、歴史的背景や心理的構造、そして実際のリスクまでを整理していきます。読むことで、ただの賛否両論を超え、なぜこれほど炎上するのかがスッキリ理解できるはずです。自分の立場を考えるヒントとしても役立ててください。
なぜ「都合のいい不倫」と言われるのか?
オープンマリッジは、「夫婦で合意のうえで他のパートナーとの関係を認め合う」仕組みと説明されます。言葉だけ聞けば対等で理性的な取り決めに見えますが、現実には「片方が主導権を握っているケース」が多いのです。つまり、好き勝手に恋愛を楽しむ一方で、結婚生活という安定装置は手放さない。これが批判派に「都合のいい不倫じゃないか」と言われる最大の理由です。
たとえば、もし会社で「副業はOKだけど、片方の社員だけがうまく稼げて、もう片方は置いてけぼり」になったらどうでしょう? 理屈では平等でも、体感としては大きな不公平です。オープンマリッジにも似た構造が潜んでいます。相手を思いやるどころか、「相手もOKと言ったよね?」という盾にして、自分だけが得をしている。これではただの“合意済み不倫”にしか見えないのです。
批判の裏にある「納得できない感覚」
批判する人の多くは、倫理観というより「腑に落ちない感覚」に反応しています。
結婚とは「お互いに制限を引き受ける契約」だという前提が日本社会に強く根付いているため、そこから自由に逸脱することに対し「ずるい」と感じてしまうのです。ある意味、スポーツの試合で「自分だけルールを拡大解釈している」ような印象を与えてしまうのでしょう。
チェックポイント
・「都合のいい不倫」と言われる背景には、片方だけが得をする非対称性がある
・形式上は合意でも、心理的には「置き去り感」が残りやすい
・社会に根付く「結婚=制限の共有」という価値観と衝突している
オープンマリッジの歴史と文化的背景
実は「結婚と外部関係の両立」という発想は、近年に突然現れたものではありません。古代ローマや中世ヨーロッパには「愛人文化」が存在していましたし、日本でも江戸時代には武士や商人が公認で側室を持つことがありました。つまり「オープンな結婚」は歴史的に珍しい現象ではないのです。
ただし大きな違いは、「権力や経済力のある側だけが許されていた」という点。現代のオープンマリッジは、その不均衡を一応は対等の合意で解消しようとする試みでもあります。とはいえ、文化的背景がない社会では「結局は強い側が有利に立つ」という既視感を呼び、批判が先に立つのです。
もし、レストランで「シェアOKの料理」を頼んだとして、いつのまにか一人が大半を食べてしまったら…残された人はシェアどころか「割り勘の被害者」と感じますよね。オープンマリッジの不均衡も、まさにこれと似ています。制度としては共通の皿でも、実際には誰がどれだけ食べるかで印象は大きく変わるのです。
チェックポイント
・歴史的にも「オープンな結婚」は存在していた
・ただし多くは権力者側に都合のいい仕組みだった
・現代の平等を掲げた形でも「不均衡感」は解消しきれていない
「合意」の本当の難しさ
批判を跳ね返す側がよく持ち出すのは「夫婦の合意がある」という一点です。
確かに法律的にも、合意があれば道徳違反ではないという主張には一理あります。しかし心理学の視点から見れば、合意は必ずしも自由意思とは限りません。経済的な依存や、相手を失う不安、あるいは「嫌だ」と言いづらい空気…これらが複雑に絡み合えば、合意は建前になってしまうこともあるのです。
これは、職場で「残業は自主的にね」と言われたときに似ています。言葉上は自主的でも、空気的には断りづらい。つまり「合意」が必ずしも対等な関係から生まれているとは限らない、ということです。
チェックポイント
・「合意」は必ずしも自由意思とは限らない
・経済的・心理的な圧力が隠れているケースもある
・形式よりも実質的な対等性をどう担保するかが鍵
SNSが炎上を加速させる理由
オープンマリッジを巡る議論がここまで激化する背景には、SNSの存在があります。
SNSは「自分の価値観を即座に声高に表明できる場」であり、賛成・反対の両極端が増幅されやすいのです。しかも、夫婦関係というプライベートなテーマは、誰もが自分の体験をベースに語れるため炎上の燃料が尽きません。
ある意味で、SNSは「家庭の居間をガラス張りにする装置」に近いのです。他人の夫婦のルールを勝手にのぞき見して、好き勝手にジャッジする。プライベートがパブリックに晒される現代だからこそ、オープンマリッジは格好の話題になってしまうのです。
チェックポイント
・SNSは価値観の対立を増幅させる装置
・夫婦関係は誰もが意見を言いやすいテーマ
・炎上は「のぞき見文化」とセットで加速する
結局「幸せ」になれるのか?
ここまで批判を整理してきましたが、最後に残る問いはシンプルです。
「じゃあ、オープンマリッジで人は幸せになれるのか?」。答えは一律ではなく、夫婦ごとの条件や信頼度に依存します。お互いが本当にフラットに合意し、嫉妬や不安を乗り越えられる関係性なら、従来の結婚よりむしろ誠実と感じる人もいます。
ただし現実には「対等さ」を維持するのが難しいため、理想と現実のギャップに苦しむケースが目立ちます。つまり、理論上は可能でも実務的にはハードルが高い。オープンマリッジは、きれいな理屈とシビアな現実の間で常に引き裂かれる制度なのです。
チェックポイント
・オープンマリッジが幸せをもたらすかは夫婦ごとに異なる
・理想的には誠実さを高める制度にもなりうる
・ただし対等性の維持が難しく、現実には摩擦が起きやすい